diary お店紹介 アポディアの内側 イベント ライフスタイル

日本の養蜂家、藤原さんのお話をきいてきました。

すでに台上には木の巣枠などが!!ちょっと興奮。

9月のはじめ、岩手で養蜂を営む、藤原養蜂場の藤原誠太さんのお話を銀座で聞く機会に恵まれました。

私はもともとブラジルでバイオダイナミック農法でコーヒーを栽培していたヴィレラ家との出会いからオーガニックの世界に入っていったのですが、その過程で出会ったのが、「食の学校」という生産者や流通業者、個人など、志のあるものづくりをされている方の勉強会のような団体でした。

私も現在は会員をさせていただいており、定例のセミナーなどに参加させてもらっています。

とかく私のような輸入がメインの仕事をしていますとあまり交流できない国内の生産者さんとの貴重な出会いの場として様々なことを学ばせていただきました。

で、今回の定例セミナーでは、藤原さんをお呼びしていろいろお話を伺ってしまおうということで、とっても楽しみにしていたのでした。

ロッシさんのバイオダイナミック養蜂もすごいですが、日本で日本みつばちにこだわり、その普及活動に力を入れている藤原さんの生の声を聞いてみたかったのです。

藤原さんとは何度かお会いしたこともあり、お話を聞いたこともあったのですが、自分がイタリアの養蜂のことにかかわってから、いろいろと蜜蜂のことについて自分なりに学ぶうちにいろいろな疑問点などもわいてきたので、それを素直にいろいろ聞いてみようと思ったのです。


名物スズメ蜂ウォーターもあります。アスリートに愛飲されているとか。

藤原養蜂場はもともと誠太さんのおじいさんが明治34年に始められ、現在はお父さんの誠市さんが2代目。誠太さんが3代目となります。

明治以降日本にもたらされた西洋みつばちと近代養蜂は、それまでの日本みつばちを用いた養蜂と生産性の面で格段の差があり、戦後の高度成長を迎えるまでは、日本の養蜂業というものは黄金時代だったそうです。

戦後の経済成長の中で、日本の西洋みつばちを用いた養蜂業は試練の時を迎えます。土地の開発が進んでよい蜜源となる植物が減ったり、農薬の影響で蜂が生きて行けなくなったり、安い中国製のはちみつが大量に輸入されたりといったことが起こりました。

若き誠太さんは、これからの養蜂はブラジルのような南米の大地で、農薬の心配もなく思いきり大規模で蜂を飼い、成功してやろう!という決意をし、南米に飛び出し、養蜂研修の旅に出てしまいました。

南米での研修の途中、一時帰国した誠太さんは、実家を手伝っていました。
ある日、日本刀の研ぎ師の方が訪ねてこられ、養蜂の道具を分けてほしいと言ってきたのでした。
話を聞いてみると、ニホンミツバチを飼おうとしていたとのことで、誠太さんは、
「ニホンミツバチは気難しいし、逃げちゃうし、ろくに蜜も取れないから、やめたほうがいいのでは」
とアドバイスしました。
それでも道具を買いたいというので、内心うまくいかないだろうと思いながら、まあ道具が売れちゃうからいいや~!
と思って道具を販売しました。

数週間後、またそのお客さんがやってきて、巣枠をさらに買いたいというので、誠太さんはびっくりして本当に飼えているのか興味がわき、自分の目で確かめずにはおられなくなったのでした。

行ってみると、その巣箱は、西洋みつばちの常識では考えられないほど巣枠の間隔が詰まっていたのでした。
普通西洋ミツバチの巣枠は、3.2センチ間隔で仕切られているのですが、どういうわけかお客さんの巣枠はびっちり巣枠同士がくっついてセットされていたのです。偶然、体の小さい日本ミツバチにはとても居心地がいい間隔になっていたのです。

現在では誠太さんたちの研究により、2.8センチ間隔がベストということが導き出され、専用の巣箱なども開発していますが、当時はそんなことを知る由もなく、ただ日本の在来種であるニホンミツバチを巣枠で飼うことができる!ということに衝撃を覚えたそうです。

誠太さんは、西洋ミツバチの巣箱をつかって日本ミツバチを飼おうとしていたからうまくいかなかったのだと直感し、ニホンミツバチにあうやり方を研究すれば今まで忌み嫌われていた(?)ニホンミツバチの無限の可能性があると確信したのです。
外国ばかりに目を向けていた誠太さんは、日本がもともと持っていたこの素晴らしい財産を改めて見直す運命的な日となってしまい、その日以来、南 米行きはすっぱりあきらめ、この日本ミツバチを極めるのがライフワークと決意し、「日本在来種みつばちの会」を立ち上げてしまいます。

(次回に続く)

解説

○近代養蜂について

古来、養蜂といっても、蜂が自然に木のうろや、神社や寺の縁の下、石垣の中などに作った蜂の巣に蜜がたまるのを待ち、その巣ごと取り出してしぼって蜂蜜を取り出していたわけです。当然、取り出したあとは蜂のコロニーは壊滅してしまいます。

1853年にアメリカのラングストロースという人が、取り外し可能な、木で作った枠に蜂の巣を作らせて、箱に並べて配置し、コロニーを形成させる。遠心分離機を組み合わせることによって蜜だけを絞った後また巣箱に戻すことで、せっかく作った蜂の巣は再び蜂たちが利用できるようにりました。

蜂の集蜜マシンとしてのセイヨウミツバチの品種改良や、病気を防ぐ薬剤、砂糖水の給餌や強化餌といった技術革新によって、ハチミツの収量は古代の養蜂と比べ物にならないくらい上がっていきました。

○日本ミツバチについて

日本古来の在来種で、昔から日本に住んでいたミツバチの品種です。ちょっと黒っぽい体つきで、黒と黄色のはっきりしたセイヨウミツバチと比べると地味な感じです。気性はおとなしく、ほとんどささない。蜜も日本人に合っていておいしく、病気にかかりにくい、スズメバチにも対抗できる防衛手段を持っているなど、魅力も多い。

その反面、飼いにくい(と思われていた)、盗蜜をする、群れで逃げてしまうことがあるなど気難しい面もあり、商業的な養蜂には向かないと思われており、明治以降の西洋みつばちを中心とした近代養蜂からは忘れ去られた存在となっていた。

posted by apodea|comment 0件|permalink|ライフスタイル|pagetop

コメントをご記入いただけます